成田キャンパス
医学科

医学科

FACULTY OF MEDICINE

医学部 医学科

学生インタビュー(2017年度入学生)

丹治 寛子 1997年生まれ 山形県 山形東高等学校出身
通学時間:約20分(自転車)
両親が医師で、小学校時代にアメリカに住み、いろいろな人と出会いました。人との出会いを大切にする仕事、そして英語力を生かせる仕事という将来像を描いていたので、この医学部は私にぴったりだと思い受験しました。入学後、すぐにアクテイブラーニングの授業が始まっています。高校までの学びの形とは全く違い、学生同士だけでなく、先生との距離も非常に近くなりました。留学生と過ごす時間もとても有意義で、今まで当たり前だと思っていたことが、世界ではそうではないということも多く、新しい視点に接して日々刺激を受けています。将来は、日本人の患者さんにも外国人の患者さんにも安心してもらえるような医師を目指しています。

牧 広大 1996年生まれ 鹿児島県 ラ・サール高等学校出身
通学時間:約20分(自転車)
幼いころは病弱な方で、よく病院のお世話になりました。離島でかかりつけの医師に対し、子供心に憧れを抱いたのを覚えています。入学後、留学生との生活にも慣れ、充実した毎日を過ごしています。学生会や医学部オープンキャンパス実行委員長、成翔祭(大学祭)での団体代表としての活動を通じて、自分のアクティブな側面を発見する事が出来ました。私はこの大学でしかできない何かがきっとあると考えています。一人前になるまでに多くの方からお世話になると思いますが、将来は他の医師にも広めていける技術を持った外科医となり、いただいた恩を社会に還元したいと考えています。

小林 優香理 1998年生まれ 東京都 白百合学園高等学校出身
通学時間:約50分(電車)
新しい医学部ができるという新聞広告を見た知人に勧められ、成田キャンパスで行われた説明会に参加しました。家庭の方針で一人暮らしはほぼNGなので、自宅から通える距離に医学部ができたのは本当にラッキーでした。実際に入学してみて、カリキュラムにスキがなく、現場で役に立つと実感できることばかり学んでいるので、毎日が充実しています。1期生のみんなは、多様性に価値を認める人たちばかりで、気持ちよく過ごすことができます。先生方も、学生が主体的に行動することについては暖かく支えてくれます。チャレンジしたい人、パターンにとらわれない人に、自信をもってお勧めします。

三宅 勇来 1999年生まれ 東京都 開成高等学校出身
通学時間:約10分(自転車)
入学後の英語について、心配している人がいるかもしれません。私も不安でした。確かに、授業の中で英語が占めるウェイトは高くなります。しかし、実際に授業を受けていて思ったのは、英語が「得意か不得意か」ではなく、「好きか嫌いか」、あるいは、「やる気があるかないか」という側面が大切なんだろうな、ということです。海外での活躍ということを少しでも考えている人にとっては、これ以上ないといってもいいくらい恵まれた環境です。私自身も、この環境を積極的に活用した上で、将来は、自分自身の能力を生かせるところであれば、場所を問わずに社会貢献できる医師になりたいと考えています。

深田 麻里子 1978年生まれ 大阪府 大阪教育大学附属高等学校池田校舎出身
最終学歴:京都大学法学部卒業 通学時間:約1時間10分(電車)
大学を卒業して会社員になりましたが、入社後2か月で大病を患いました。想像もしなかったことに目の前が真っ暗になりましたが、担当医の「あなたが頑張るなら、私たちも全力で取り組むから」という言葉に勇気を与えられました。2年かかって完治したときに感じたのは、「私は第2の人生をいただいた」ということ。長い入院の間、同じ病気で私を励ましてくださった方で、亡くなった方もいらっしゃいます。その方たち、また助けていただいた医療への恩返しとしてできることは何かと考えるうちに、医師になるのが私の使命なのではないかという結論に至りました。「やりたいこと」と「やるべきこと」がぴったり重なった瞬間です。私のような経験を持つ者が医師になることで、他の人たちの励みになればと思っています。

村上 純一 1970年生まれ 愛媛県 愛光高等学校出身
最終学歴:東京大学大学院工学系研究科修士課程修了
通学時間:約1時間50分(電車)
大学院を修了して会社勤めをしておりましたが、その後、両親の闘病生活を見守る中で、医師の仕事の意義と重要性を今更ながらに認識し、再受験を志しました。決心した後に、予備校のイベントで新しい医学部の誕生を知り、一期生として自分達でゼロから切り開いていくという境遇が、非常に魅力的に映りました。実際に本学に入学してみて、個性溢れる学生達の主張が、合理的であれば認めてもらえる雰囲気が学内に溢れているのも、本当に素晴らしいです。また、先生方が学生に少し高めのレベルの勉学を要求される場合でも、同時に先生方が非常に手厚くフォローされたりしているのを見るにつけ、先生方の愛情を感じます。この大学に入学できて本当に良かったと、実感しています。

フィン・ゴッ・イエン・ニィ (Huynh Ngoc Yen Nhi) ベトナム出身
高校時代、「さくらサイエンスプラン」という青少年交流事業に参加し、交換留学生として日本に滞在したことがありました。医学だけでなく病院経営についても意欲的に学び、日本の技術と魂をベトナムに根づかせたいと思います。
In the future, being able to use 3 languages, I would like to become an international medical doctor who will not only specialized in a medical field but also be able to apply my skills and knowledge to enhance the international medical cooperation. In more than 6 years learning medicine in Japan, I will try my best to acquire knowledge and skills as well as to learn from Japanese medical education and hospital management. I will bring Japan's excellent medical technologies and cooperative spirit that I'll have learned to medical schools and hospitals in my country.

グエン・ヴァン・タイ (Nguyen Van Tai) ベトナム出身
厳しい環境であればあるほど、人は成長できると思っています。将来は、附属病院や関連病院で勤務しながら、日本の病院と医療についてたくさんのことを学び、ベトナムの医療分野の発展に貢献するつもりです。
Now I only have very general and basic knowledge about medicine; therefore, to be honest, I am not very sure what specialties in the medical fields that I will chose for my whole career. However, after taking part in the anatomy dissection course in my university in Vietnam, I had grown my interest in surgery. However, whatever specialties in the medical fields that I choose, I will need to work harder, always be open-minded, always want to discover more in what I am study. Besides, I need to learn to work well with others in the team, and practice more in the communication skills.

メイ・ピエ・チョー (May Pyae Kyaw) ミャンマー出身
「1リットルの涙」という日本のテレビドラマを見て、治せない病気に治療法を見つけられるような医師をめざすようになりました。将来は、医療分野においてミャンマーと日本の架け橋になるだけでなく、チャリティー団体を設立して医療知識を広めたいと思います。

ダン・タン・フイ (Dang Thanh Huy) ベトナム出身
国際医療福祉大学は、ベトナムの保健省と協力関係があると聞いていたので、安心して留学することができました。将来はベトナムと日本との関係をより強くできるよう、両国の医療システムの向上に努めたいと思います。
I want to be a good doctor who is forward-thinking to keep my knowledge up to date as the medicine is changing all the time and empathetic since empathy is an important part of any doctors beside manner. About the discipline of medicine, I have just embarked on this adventure of learning, so I want to have more experiences so that I will know exactly who am I and what specialty is suitable to follow and put much effort into. To pursue and achieve this dream, to get there, I think hardworking is an essential trait. I am willing to be hard-working to learn more, to improve myself to become a good doctor in the future.

ユリアニ・プトゥリ (Yuliany Putri) インドネシア出身
インドネシアでは得られない知識や経験を手に入れたいと思い、以前から海外留学を考えていました。日本は当初から希望の留学先でしたので、新設医学部の第1期生として入学できるいうチャンスをつかめたことはとても嬉しく思っています。
I have not decided what specialty I want to pursue, however I want to be a passionate doctor whom patient can trust. To reach that goal, I have to study hard to get enough knowledge as much as I can, and I must learn about moral and ethics so I can be a good doctor.

グエン・ティエン・ミン (Nguyen Thien Minh) ベトナム出身
高校在学中に日本語を勉強していたことが、今回の留学の一つのきっかけになりました。チーム医療のコンセプトをしっかりと身につけ、「共に生きる社会」をベトナムにも作り上げることができたらと思っています。
Actually, I'm not thinking about what kind of doctor I will be like in the up-coming years. But I hope everything will go well and I can pass the National Examination and get Doctor license in Japan. Then I would like to comeback to my country, to transmit what I have learned in Japan to Vietnamese students, and to become a part of the bridge connecting Vietnam-Japan, making our friendship stronger and more durable, (not just what a clinical doctor does in his hospital).
And now I'm trying my best to master Japanese as soon as possible and improve my English skill which is very necessary to become an international medical professional.

コン・ボレイ (Kong Borey) カンボジア出身
医師になることは小さなころからの夢でした。各分野で科学技術が高度に発達し、平均寿命も長い日本は、私が医学を学ぶ上で最適の場所だと考え、留学を決意しました。将来はカンボジアの医療福祉の発展に努め、カンボジア人のQOLの向上をめざします。
After graduation, I am going to go back to my country, and use my knowledges and understandings which I will have mastered here in Japan in any single way possible to contribute in Cambodia's health and welfare development and to enhance the quality of life of Cambodian People. At the same time, I am going to keep in touch with Japanese medical institutions especially IUHW because I am sure that there will be a lot more things to learn from each other's side.

チョコルダ・リオ・アンジェリナ (Cokorda Rio Angelina) インドネシア出身
国際的な視野を持った人たちに囲まれ、日々刺激を受け、視野を広げることができるのではないかと期待しています。将来は、日本で学んだことを生かし、人口の多いインドネシアならではの医療福祉に貢献したいです。

タ・ハ・グエン (Ta Ha Nguyen) ベトナム出身
キャンパスの規模と附属病院・関連施設の多様さに圧倒されました。最先端の設備をフル活用し、いろいろな事を幅広く学ぼうと思っています。技と心の伴ったよい医師になるために、ハードなカリキュラムにもしっかりついていきます。
I want to be a good doctor, regarding both medical techniques and behavior. To achieve that goal, I will learn hard, follow strictly the curriculum that IUHW provides. At the same time, I will also polish my behavior. Now I'm studying Japanese and I promise to try as hard as I can in order to use and speak Japanese fluently because I think that Japanese is indispensable to my medical study and practices.

ガンバータル・トゥムルジン (Ganbaatar Tumurjin) モンゴル出身
小学生のころ、交換留学生として日本に2ヶ月滞在した経験があります。私たちの生きる21世紀は、世界がますます小さくなっていくはずです。留学で得たネットワークと友情を生涯にわたって大切にしていけたらと願っています。
I want to be not only a clinical doctor but also a contributor to the global medical research and education field. As a medical professional in the 21st century, I think it is important for us to build a bridge across the world and learn from each other to help improve all areas of the medical field in our respective countries.

タルガト・ティレウベク (Talgat Tilyeubyek) モンゴル出身
日本で勉強することになるとは想像していませんでした。私が通っていた大学と提携しているこの大学に医学部が新設され、一期生になれたのは大きなチャンスだと思っています。医師として独立できるよう、しっかり学んでいきます。

グエン・ドゥック・ダイ (Nguyen Duc Dai) ベトナム出身
技術が高いばかりでなく、患者さんに思いやりをもって接することのできる心臓外科医をめざしています。病院で働くだけでなく、自分の経験を生かして留学生のサポートにも携わりながら母国の医療向上に貢献できたらと考えています。

デビット ジュリ (David Juri) 米国出身
通学時間:約25分(スクールバスまたは自転車)
小学生のころから周囲に医師が多く、患者さんに対する思いなどを見るにつけ、あこがれを持ちました。山中伸弥京都大学教授がiPS細胞を開発した際には「治療法のなかった病気が治るのか」と感銘を受け、「医学の道に進みたい」と思い、留学生特別選抜入試で合格しました。医学部では1、2年次はほぼすべての授業が英語なので、他大学の日本語、漢字で行われる講義と比べ、英語話者である私にとって理解しやすそうだと考えました。また、留学生が多く、米国医師免許試験(USMLE)受験もサポートしてもらえ、将来の勤務地として日米両方を選択肢に入れられる事が魅力的でした。日本で外国人が病院にかかる際、母国語で診療を受けられる所はまだ多くありません。また海外でも日本人医師が常駐している病院は限られています。私は海外にいても、母国と同じ医療が受けられることを実現したいと考えています。

学生インタビュー(2018年度入学生)

辛 直輝 1998年生まれ 長野県 佐久長聖高等学校出身
通学時間:約5分(徒歩)
海外生活が長かったので、海外で働きたい、そして、医療に従事したいと思っていました。本学には、長期間のクリニカルクラークシップ、最低4週間の海外臨床実習、英語による授業などがあり、さらに、入学直後の4月から医療系の科目が始まり、モチベーションが高いうちに医療入門・解剖演習などの科目に触れられます。先生方も熱心で、授業は毎回メッセージが明快で、フォローも十分です。学生同士は顔を合わせる時間が長く、関係が濃密です。週2時間のUSMLE(米国医師免許試験)の授業は1年次からその第1段階を意識し、出題形式、考え方、追加知識などが補われます。最前線で働く医師をめざしていましたが、診られる患者さんの数は限られるので、研究に興味を持ち始め、今は自分で進めた治療プロセスや薬を臨床までもっていくことが夢です。

神野 規人 1982年生まれ 愛知県立旭丘高等学校出身/京都大学教育学部卒業
通学時間:約15分(自転車)
英語と日本語の両方で医療ができる医師になりたいと考える私にとって、本学の英語教育に重点を置いているところが魅力的に感じられました。入学して感じたのは、本学は多様性に対して寛容であることです。私は再受験生なので、歳の離れた同級生とうまくやっていけるか不安でしたが、皆とてもフレンドリーです。国籍、性別、年齢に関係なく、志が高く勤勉な同級生をとても尊敬しています。英語以外のカリキュラムも独創的で、「医療プロフェッショナリズム」の授業では明確な答えのない状況での医師としてのふるまいをアクティブラーニングで考えることができますし、先生方の実際の経験を聞くことができ見識も広がります。私が出会う方の今日と明日が少しでも幸福なものになるよう、多くの方の助けとなれる医師を目指し日々を精力的に過ごしています。

木村 大紀 2000年生まれ 神奈川県 桐蔭学園高等学校出身
通学時間:約3分(自転車)
医師として国際的に活躍したいとの思いから、日本で唯一、USMLE(米国医師免許試験)受験に向けたカリキュラムがある本学を選びました。入学して、素晴らしい同級生や先輩がたくさんいるということがわかりました。特に、留学生の勉強に対する意識の高さにはいつも驚かされ、これほど学生同士で切磋琢磨できる環境は珍しいと思います。印象に残っている授業は「医療プロフェッショナリズム」です。医師としての倫理観などをアクティブラーニングで考える授業で、特に印象的だったのが、北村聖先生による"cinemedication"の授業です。これは、cinema(映画)+medicine(医療)+education(教育)の造語で、映画などの映像を通して医師のあり方を考えるものでした。海外の進んだ医療を学び、将来は、そうした臨床現場に身を置きたいと思います。

竹内 美羽 1998年生まれ 東京都 白百合学園高等学校出身
通学時間:約90分(電車)
英語での授業、USMLE(米国医師免許試験)対策、海外臨床実習など、海外で医師として働きたいと思っていた私にとって、本学は理想の医学部でした。実際に入学して気づいたのは、学生のモチベーションが高いことです。これまでにない勉強量と立て続けにやってくる試験を前に目標を見失いそうになったとき、再び前を向かせてくれるのは仲間の存在です。「医療プロフェッショナリズム」の授業では、医療事故で息子さんを亡くされたお母様の話を伺いました。医師になれば、こうした率直な思いを聞く機会はないのではと思いました。 "In every job that must be done, there is an element of fun." -やらなければならないことに追われて、その中に楽しみを見出すことを忘れないように- 将来は、英語を使って世界中の人を相手に仕事をしたいと思います。

香取 真奈 1999年生まれ 東京都 青山学院高等部・カナダ Brookswood Secondary School出身
通学時間:約15分(自転車)
高校時代に留学し、さらに英語力を伸ばしたいこと、また、アクティブラーニングという学生主体の授業があることに魅力を感じて本学を選びました。本学を一言で表すと、「多様性」です。違った経験や考えを持つさまざまな人から日々刺激を受けています。また、1年次からすでに医学に触れながら、同じ目標を持つ仲間と勉強ができて、毎日が充実しています。解剖の授業が印象的でした。入学直後、骨を渡され、それをスケッチして組織別の授業を受けました。いきなりの展開に驚くと同時に楽しかったのを覚えています。アフリカを病院船で回り、医療を提供する「Mercy Ships」のドキュメンタリーをテレビで見て医師をめざしました。国の経済力により適切な医療が受けられない事実に衝撃を受け、将来はそのような人々に無償で医療を提供したいと思います。

キラートン ウィタワッ(Kilathong Vithavath) 1997年生まれ ラオス出身
通学時間:約15分(スクールバスまたは自転車)
ラオスの医科大学2年生のときに、国際的な環境とユニークなカリキュラムがある本学を知りました。入学してよかったことは、日本語と英語で授業を受けられること、優秀な学生と教育熱心な先生がいること、同じ夢を持っている各国からの友だちができることです。さらに、医学の授業だけでなく、世界で起きている事件などについてのディスカッションをとおして、多様な知識が身につき、視野が広がりました。印象に残っている授業は「医療プロフェッショナリズム」です。私は医学的な知識はもちろん、医師としての態度、考え方、プロ意識などを学ぶことが不可欠だと心掛けているからです。今は日本で医師として働くことをめざし、将来はラオスに帰って、日本での経験を生かして人材育成に携わることで、ラオスの医療の発展に貢献することが最終目標です。

チュオン ニャット グエン(Truong Nhat Nguyen) 1998年生まれ ベトナム出身
通学時間:約15分(スクールバスまたは自転車)
入学するまで日本語を勉強したことがなかったので不安でした。でも、先生は熱心に教えてくださり、大学のスタッフの方もサポートしてくださるので、徐々に生活に慣れてきました。印象に残っている授業は「医療プロフェッショナリズム」です。この授業ではいくつものビデオを観ました。がんに罹った若い女性の最期は、悲しみを抱えながらも、恋人と過ごした美しい時間でした。また、指導医がインターン医に教えているのは、患者さんの病気や治療のことではなく、最期を迎えている患者さんの尊厳に対する敬意でした。そのときから私は、自分のためではなく、将来の患者さんのために勉強しています。母親が医師なので、自分も医師になりたいと思っていました。英語と日本語、ベトナム語を使って、日本とベトナムの医療を発展させることに努めたいと思います。

ガントゥムル フラン(Gantumur Khulan) 1998年生まれ モンゴル出身
通学時間:約15分(スクールバス)
「どんな職業でもそれに誇りを持てば必ず成功する」という母のことばが、医師をめざすきっかけのひとつになりました。グローバル化が進む現在、成功のためには世界に通用する知識や経験が必要です。そんななか、私は単に臨床医としてだけでなく、現代医学に大きく貢献したい思い、本学を選びました。いろいろな国の教員や学生が切磋琢磨する新しい環境に身を置いていることに感謝しています。病理学と免疫学の授業がとてもおもしろいと感じています。モンゴルでは死因の1位が心臓病です。私は優れた医師とは、治療を行うだけでなく、人々と知識を共有できる研究者であると思っています。心臓血管外科医になって、患者さんに私の知識や技術を提供するとともに、副作用の少ない治療法を発見して、多くの患者さんを救える研究者をめざしています。

メイ ツー チョ(May Thu Cho) 2000年生まれ ミャンマー出身
通学時間:約15分(スクールバス)
以前から、医療制度や技術などが発達している日本に留学したいと思っていました。国際的な大学にできた新しい医学部というところに興味を持ちました。いろいろな国からの留学生がいることや、英語での授業があることも大きな魅力でした。入学してよかったことのひとつは「多様性」を感じたことです。いろいろな優秀な学生を見て、勉強に対するモチベーションが上がりました。アクティブラーニングもいい授業スタイルだと思います。印象を受けたのは「試験問題」です。ミャンマーのそれより洗練されていると思います。また、授業の最後にアンケートをとって学生の声も聞く仕組みもいいと思います。将来は優れた医師になって国際医療福祉大学の名前を世界に広めるとともに、ミャンマーと日本の医療をつなぎ、よりよい医療制度を提供していきたいと思います。

エミ リー アイ ユエン(Emi Lee Ai Yuen) 1998年生まれ マレーシア出身
通学時間:約20分(自転車)
国際的な医学教育の重要性をうたう本学の理念に惹かれ、留学生特別選抜入試で合格しました。本学は日本の医学部の中で最も多様性を実現しています。出身国や受けてきた教育、考え方の異なる人たちといる環境は、常に私に新しい物の見方をもたらしてくれます。「医療プロフェッショナリズム」の授業は 異なる意見に耳を傾ける機会を与えてくれます。たとえば、「医師であるとは何か」「患者と医師がよい関係を築くには」などのテーマについて、小グループでディスカッションすることで、批判的な思考、チームワーク、内省など、医師になるために必要なスキルを磨けます。世界中の人を助けるために、グローバルに活躍できる医師になることが夢です。地域に貢献でき、さらに、人々の生活や世界に変革をもたらすことができるようになるために努力します。

学生インタビュー(2019年度入学生)

嶋崎 朱音 2000年生まれ 千葉県 渋谷教育学園幕張高等学校出身
通学時間:約90分(電車)
医学部をめざしたのは、病院でボランティアをして、医師や医療従事者の方々が患者さんたちと接しているのを見たからです。「医学に興味や知識があるだけでは良い医師になれない」と痛感し、想像以上に覚悟が必要であることに気づき、医師への気持ちが強まりました。幼少期から海外に住み、英語が得意な私にとって、英語で医学の勉強ができ、海外での臨床実習や米国医師国家試験(USMLE)の授業があるのが魅力でした。入学早々医療系の科目を学ぶことに驚きましたが、今はその大変さが逆にモチベーションを高めてくれています。国籍や年齢が異なる人々が集まり、新しい考え方やアイデアと出会う機会が多く、毎日が楽しく、充実した生活を送れています。将来は小児科医として医療の発展に貢献し、日本と世界の架け橋となる医師になりたいと思っています。

山本 天智 1999年生まれ 東京都 東京学芸大学附属高等学校出身
通学時間:約45分(電車)
小学生のころ見た医療ドラマが印象的で、医師に憧れました。ニュースで様々な災害の被災者や世界の貧困地域や紛争地域の人々のことを目にするたびに自分の無力さを痛感し、「少しでも役に立ちたい」と思い、医師を志しました。浪人時に改めて考え直したとき、身近な人々の健康を守ることの大切さに気付き、大きなモチベーションとなりました。本学は医学をより国際的な環境で学べる魅力的な大学です。勉学、娯楽、スポーツともに充実しており、先生方との距離はとても近く、どんな些細なことでも気軽に相談できる環境は代えがたいものです。また、リベラルアーツや政治学にも興味があった私にとって本学の選択授業(国際関係論、死生学)や英語授業はとても充実しています。生涯現役で「医師」という特別な称号に恥じぬよう使命を全うしたいです。

高岡 龍之輔 2000年生まれ 東京都 海城高等学校出身
通学時間:約90分(バス・電車)
私は幼いころ、苦痛を親身になって聞き苦しみを取るために励んでくださった医師に憧れました。中学生の時、医師不足から適切な医療を受けられずに亡くなった人の新聞記事を読んで衝撃を受けました。私が当たり前に受けていた医療が不足していることを知り、「その助けに少しでもなれれば」と思い医師を志しました。また千葉県の人口当たり医師数が日本で下から3番目であることを別の記事で知り、「生まれ育った場所の医療を支えたい」と思いました。日本は海外からの医療スタッフ導入を進めています。彼らと協力し最善の医療を提供するには、国際色豊かな本学で学ぶことが重要です。私は"二面性のある医師"をめざします。その2つの側面とは、学問的な冷静さと、人間的な温かさです。大学を卒業した後も精進し、多くの患者さんを助けていきたいと思います。

北村 瑛秀 1999年生まれ 鹿児島県 ラ・サール高等学校出身
通学時間:約20分(自転車)
もともと私は世界の恵まれない人々を救うために外交官をめざしていました。そのため、中学の時から高校の英語ディベート部に入っていました。しかし、部活動を通して、「外交官はネゴシエーションによる間接的な支援しかできない」と思うようになりました。私は「自らの手で人を助けたい」と考えていました。そこで思いついたのが医者だったわけです。国際医療福祉大学はその名の通り国際性豊かな大学で、「海外で働きたい」と思っていた私にとって最適でした。また、英語を中心としたインタラクティブな授業を行う点も魅力的だと思います。日本を拠点にして地域医療で自分の技術を磨き、海外のカンファレンスにも積極的に参加することで最新の治療法を身につけたうえで海外に赴き、恵まれない人々を救うのが私の将来の夢です。

井口 裕太郎 1996年生まれ 京都府 洛南高等学校出身
通学時間:約3分(徒歩)
小学生のころ、医師である父はアメリカで聴力回復に関する再生医療の研究をしていました。私は学校が終わると父の研究室に行き、マウスの脳をひたすらスライスして標本を作る手伝いをしていました。研究に対する父の熱い思いを聞くうちに「私も研究者になり、人類に貢献したい」と思いました。母は乳腺外科医です。患者さんと接するときに思いやりをもつことの重要性を教えてくれました。「私もそんな医師になりたい」という強い憧れが生まれ、医学部をめざしました。私が入学した理由は、米国医師国家試験(USMLE)受験を想定したカリキュラムが日本で唯一備わっていたからです。私は今、筋骨格系に興味を持っています。将来はアメリカに行き、筋委縮性側索硬化症などで苦しむ方たちの助けとなりたいと考えています。

山東 茉生 2000年生まれ 京都府 同志社女子高等学校出身
通学時間:約20分(電車)
私は、幼い頃喘息で小児科に長く通院した経験があります。当時の主治医に自然に憧れを持ち、「自分も医師を目指したい」と思うようになりました。また、私は人と話すことが好きなので、人と深く関わることのできる「医師」という職業に魅力を感じました。医師になる夢を叶える第一歩を踏み出して気付いたことは、本学では帰国子女や留学生も多く、水準の高い英語での医学教育が行われており、「自分の力はまだまだで、日々の努力の積み重ねが必要だ」ということでした。学生の学習意欲が高く、先輩や友人に日々刺激を受けています。将来は、英語力を備え、海外論文にも積極的に触れ、世界水準の医療を提供できる小児科医になりたいと考えています。

森 亮介 1998年生まれ 愛知県 愛知高等学校出身
通学時間:約5分(自転車)
幼少期から「多くの人を助け、喜ばせられる職業に就きたい」と考え、「医師は多くの人の生活や人生に貢献できる」と感じたため医師をめざしました。1年次の4月から医療系の科目を学べ、英語を多く活用したカリキュラムが組まれるなど、「この大学だからこそできることが多く、刺激のある大学生活を送れる」と考えました。入学後、英語による授業が想像以上に多く、得られる知識量の多さに驚きましたが、素晴らしい仲間のおかげで本当に楽しい大学生活を送れています。新設校だからこそ、先生や先輩との距離が近く、「大学全体で学校を作り上げよう」とする雰囲気があります。私は「世界中の人が医療を身近に感じられるように導ける医師になりたい」と考えています。患者さんとのコミュニケーションを大事にし、1人ひとりにあった医療を提供できる医師をめざします。

エンフトヤ バット インフ(Enkhtuya BatEnkh) 2000年生まれ モンゴル出身
通学時間:約10分(バス)
私は子どもの頃にお世話になっていた方々から「医学は恵みだ」と言われました。人間の貴重な命を救うことは幸せなことです。そのため、私は将来、外科医になりたいと思っています。本学では、私が将来、医療を行ううえで役立つ教育と経験を受けることができます。様々な人とコミュニケーションし、違う文化を持つ他の学生と意見を共有することができるようにもなりました。また、多様な価値観や 2つの異なる言語を学んでいます。多くの素晴らしい先生たちから色々なことを学ぶことができ、とても嬉しく思っています。私は将来、社会のリーダーや研究者ともなれる、多くのことができる外科医となることをめざしています。そして、さまざまな病気に苦しんでいる患者さんを精神的にもサポートして診療し、皆さんの役に立ちたいと思っています。

ヘイン テッ アウン(Hein Htet Aung) 2000年生まれ ミャンマー出身
通学時間:約15分(バス)
医師のいない家庭で生まれたため、医師になることは私の子供の頃の夢ではありませんでした。しかし、子供の頃の私は健康に恵まれず、急性喘息などを患いました。たびたび診療所や病院に通っていたため、症状が治まるたびに担当の医師にとても感謝していました。そのため、「大人になったら医者になりたい」と思いました。留学は私の子どもの頃の夢を実現しました。奨学金試験で入学した本学は国際的で、その雰囲気が好きです。一緒に勉強し、助け合うさまざまな国からの学生たちとも打ち解けました。本格的な医者になるためには、スキルや知識だけでなく倫理も必要だということを学びました。私は将来、脳神経外科医を目標にしています。ここで得た知識で市民の健康と福祉に貢献できると思います。ミャンマーの医師として、日本との架け橋になりたいです。

ミン スライパウ(Minh Sreypov) 2000年生まれ カンボジア出身
通学時間:約15分(自転車)
私の両親は医師です。患者さんと対話する様子を見たり、恵まれない人たちから「ありがとう」と言われるのを聞き、「私も同じ体験をしたい」と思いました。高校での好きな科目は生物学でした。人間の体の各器官について学ぶのが好きで、医学部に入学しました。また夢は日本で勉強することでした。カンボジアで入学した大学が本学と連携していて、奨学金を提供されて留学できて本当にうれしかったです。私は経験や知識を他の人と共有するのが好きで、本学の推奨する「自分で考え失敗して学ぶ方法」に感謝しています。授業で疲れた時は、教授陣は楽しくする試みをし、気持ちを入れ替えてくれます。医療技術などを学び、将来は私の国で患者さんと良好な関係をつくって助け、大学教授になることも視野に入れ、母国の医学教育を変える手助けをしようと思います。

グエン ティ チュック ニュー(Nguyen Thi Truc Nhu) 1999年生まれ ベトナム出身
通学時間:約15分(バス)
私の母は医師だったので、私は診療を受けに来る患者さんの様子を見ていました。その母がある日、ベッドから落ち、背骨と足の骨を折りました。私は母と一緒にいましたが、パニックになり、助けられませんでした。この事故は「いつか優秀な医師になる」という動機になりました。日本は科学と医療の卓越した国で、ここでいい医師になることが私の目標です。本学は優秀な教員だけでなく、世界中の学生と一緒に医学を勉強する環境があり、この国際コミュニティーに参加でき、アジアの様々な国の人と友達になれます。ベトナムの大学では生理学を勉強していたので、私の一番の興味は、内分泌系人体細胞に処理を通知する機能的バランスを維持する腺のネットワークです。卒業したら母国で貧しい患者さんを助けることが夢です。母国の医学の発展に貢献したいです。

チョ ハヨン(Cho Hayoung) 韓国出身
通学時間:約15分(バス)
小学生の頃、生物の授業で免疫系について学び、人の体内で起こる様々な細胞の働きを知り、「生物学の研究者になりたい」と思いました。しかし、祖母と祖父が癌を発病し、私が愛する人たちが苦しむことを体験し、「他の方々には私と同じ思いをさせないように、疾病の予防と治療を行う医師になりたい」と思いました。留学生特別選抜入試で本学に入学できて良かった点は、授業を英語と日本語両方で行うことです。日本語だけでなく、世界で必要な英語も上達できます。また、国際交流センターは大学生活、日本文化に早く慣れるよう、生活面でもサポートしてくれます。私の将来の夢は国際的な医師になることです。多様な国から来た留学生との交流で、異文化を理解、尊重することを身につけられます。このスキルを生かし、世界中に貢献できる医師になりたいです。

学生インタビュー(2020年度入学生)

飯村 香澄 1993年生まれ 栃木県立宇都宮女子高等学校出身
通学時間:約10分(徒歩)
子どものときから人と触れ合うことが大好きで、心身の健康を支え、命を救う医師に憧れていました。そして、その漠然とした夢が祖母の死をきっかけに目標に変わりました。「飯村さんは年齢や経歴を気にしているかもしれませんが、26歳はまだ若い。本学ではそういう心配はいりません」。面接試験での赤津先生からのメッセージです。多様性に寛容な環境のもと、多くの友人と学修できる毎日に心から感謝しています。私は患者さんに真に向き合う外科医をめざしています。自分自身、髄膜炎の見逃しにより命を落としかけた経験をして、「推測する病気に患者さんを当てはめるのではなく、病気を通して患者さんの内面を診る大切さ」を痛感しました。最先端の知識を学ぶ一方で、目の前の患者さんにとっての最善策を熟考し、提供できる存在をめざしたいと思います。

山田 真萌 1999年生まれ 大阪府 国立大阪教育大学附属高等学校池田校舎、アメリカ・テキサス JJ Pearce High School出身
通学時間:約20分(自転車)
幼いころから漠然と医師になりたいと思っていました。インドを訪問した際に、自分の育った環境とは比較にならない現状を目の当たりにし、何か私にできることがあるのではないかと思い、国際的に活躍できる医師を志すようになりました。本学では、同じような夢を持ったアクティブな同級生や先輩方と一緒に学ぶことができ、とても充実した生活を送っています。先生方も親身でエネルギッシュな方が多く、個人のやりたいことや夢に向けて踏み出せる環境が整っていると感じています。私の目標は、先進国と発展途上国を双方向に繋ぐ人間になることです。医療が十分でない地域で医療支援をするのに加え、発展途上国の子どもたちが夢を叶える機会を得られる支援もしたいと思っています。医師の職能を生かしつつ、ひとつでも多くの笑顔に貢献したいです。

南部 光鋭 2001年生まれ 東京都 東京都市大学付属高等学校出身
通学時間:約10分(自転車)
物心ついたときには家に図鑑があり、時間があればそれらを読んでいました。特に人体の図鑑に興味を持ち、消化や免疫などの仕組みの複雑さ、精密さに子どもながらに感動していました。年齢が上がり将来の仕事を考えたときに、人体に関わる仕事をしたいと思いました。なかでも、直接、自分の手で人の命を救い、感謝される、医師にやりがいを感じました。本学は、留学生はもちろん、日本人学生も年齢、経歴などが多種多様で、まさに「多様性」を肌で感じられます。さまざまなモノの見方、価値観などを知ることで、人の気持ちを理解しやすくなったと思います。海外で学ばれ、活躍されている先生方が身近に大勢いらっしゃいます。留学も視野に入れ、日本国内だけでは得られない最新の知識、技術を吸収して、英語で最適な診療できる医師をめざしています。

山田 愛実 2001年生まれ 福岡県 西南学院高等学校出身
通学時間:約20分(自転車)
人体で起こっている現象に不思議さと魅力を感じ、もっと詳しく知りたいと思っていました。また、生涯にわたって積み重ねていく知識と経験をもって、目の前の困っている人に手を差し伸べられる医師に憧れてこの道を志しました。医学やその他の知識はもちろん、英語をはじめとする語学力や対人スキルなどを持ち合わせた尊敬できる多才な仲間に囲まれて過ごす毎日はとても刺激的です。また、"sharing is caring"の精神を体現し、いつでも支え合える仲間に出会えたことに感謝しています。部活やサークル、学外活動にも力を入れて幅広い知識や視点を取り入れつつ、これからの大学生活を通して人間性や国際性を磨いていきたいと考えています。そして、それぞれの悩みを持つ患者さんに一人ひとりに向き合い、多技に通じた活躍のできる医師になりたいです。

市原 嵩大 2000年生まれ 千葉県 渋谷教育学園幕張高等学校出身
通学時間:約50分(電車)
両親をはじめ親戚に医療従事者が多く、小さい頃から医療に携わる仕事をしたいと考えていました。また、自分の受けた身近な医療体験から、患者さんに寄り添った医療を提供できる医師になり、社会に貢献したいと思っていました。1年次には英語の授業が多く、医学の授業もすべて英語で行われます。このように常に英語に触れる環境に身を置くことで、自然に英語力が向上しているのを実感できます。また、1年次の初期から基礎医学を学べるので、医学生としての実感を得ることができます。さらに、世界最大級のシミュレーションセンターには最新の設備が揃っているので、日本でも世界でも通用する医学を学ぶうえで最適な環境が整っています。こうした恵まれた環境を最大限に活用して、将来、グローバルに活躍できる医師になりたいと思っています。

山下 雄大 2000年生まれ 兵庫県 六甲学院高等学校出身
通学時間:約5分(自転車)
子どものとき手術をした際に、医師が手術前の不安を和らげてくれたことで医師に憧れるようになりました。宇宙や機械にも興味がありましたが、医学の知識はこの分野でも役に立つことを知り、医学部をめざしました。また、高校生のときに海外留学をして、さまざまな国の人と出会った経験から、海外で働きたいと思うようになりました。本学は英語で医学を学ぶことができ、USMLEを受験するサポートもあるうえ、6年次には海外臨床実習があるので、自分にとっては最高の環境であると思って入学しました。実際に英語で話す機会が増え、スピーキング力やリスニング力が上がりました。将来は外科医か救急医になりたいので、海外に臨床留学をしたいと考えています。そのためにUSMLEに合格することはもちろん、英語力を高めることを目標にしています。

ジョーンズ空 2000年生まれ 大阪府 国立大阪教育大学附属高等学校池田校舎出身
通学時間:約20分(自転車)
幼い頃、シュバイツァーの伝記を読み、志のある医師たちの姿を見て、医師への思いを強くしました。地元のかかりつけ医は、身体障害児の医療・介護・福祉の充実のために多職種と連携しながら活動しています。医療技術で患者さんを救うだけでなく、患者さんやその家族を精神的にも社会的にもサポートできることに気づき、医師をめざす気持ちが一層強くなりました。国際性、充実した設備、多様性を重んじる環境、参加型のアクティブラーニングに心を惹かれて入学しました。多様で人間性豊かな同級生、海外経験豊富で熱心な先生方から刺激を受けながら、伸び伸びとキャンパスライフを送っています。国際保健、公衆衛生、総合診療などに興味があり、患者さんやその家族がその人らしく生きることを支えるとともに、地域に貢献できる医師を目標にしています。

アーモン フー(Aamhoon Phoo) 2002年生まれ ミャンマー出身
通学時間:約15分(バス)
8歳のときに脳卒中で父を亡くしました。当時、家族は医学をよく理解していなかったので、時間通りに病院に行くことができませんでした。これが医学部に入った大きな理由です。また、12歳のときに、心臓外科医のドラマを見て、彼のように多くの患者さんを救いたいと決心しました。現在、世界の人口のほぼ半数がさまざまな病気に苦しんでいて、医師だけがこの問題を解決できると信じています。ミャンマーは発展途上国です。だから、私は最先端の方法や技術を学び、これを母国に普及したいと思います。奨学金をいただいていますが、卒業後は母国で働くことができるので本学を選びました。期待していた通りの勉強ができていて、この大学の教授法も気に入っています。初めて発生学の実習をしたときに感動し、この大学に入学できてよかったと思いました。

アウン カウン テツ(Aung Kaung Htet) 2002年生まれ ミャンマー出身
通学時間:約10分(バス)
私は医学に「美」を感じています。人は誰でもその健康状態に大きく従っています。生存に影響を及ぼすだけでなく、健康状態が悪ければ、その人の人生もまた悪いものになります。このことから、人生や生活についてのさまざまな思いが生まれ、私を医学の勉強に駆り立てます。「人間中心の大学」、「国際性を目指した大学」という理念に共感して本学を選びました。勉強が進むにつれて、多様性を受け入れるセンスが磨かれたことを実感しています。本学には、さまざまな国から、視点、価値観、文化の異なる多くの学生が集まっていて、勉強や日常生活を通して、彼らから一生役に立つであろう大切なものを数多く学んでいます。将来はミャンマーに戻り、本学で学んだ知識や経験を生かして、ミャンマーの人たちとともに健康管理の向上に寄与したいと思っています。

アウレリウス セバスチャン チャンドラ(Aurelius Sebastian Chandra) 2000年生まれ インドネシア出身
通学時間:約10分(バス)
父は皮膚科医ですが、私は特に医師なりたいと思っていたわけではありませんでした。ところが、その父が虫垂炎に罹り、これを切除したことがきっかけで、たちまち医学の魅力に引き込まれました。本学は、人間的に成長し、現在自分が描く最高の医師になるための最高の環境を実現しています。実際に、キャンパスの大きさ、医学教育のため最先端の設備、気さくで有能な先生方にまず驚きました。さらに、日本人学生だけでなく、留学生にも世界レベルの医学教育を提供しています。私の将来の夢は、自分自身の専門分野を見つけることはもちろん、母国に戻って、臨床と教育の両面で医療システムを発展させることです。本学で使われている設備や技術を紹介することに加えて、賞賛すべき日本人の職業倫理や規律性をインドネシアにも取り入れたいと思っています。

グエン キム チュアン(Nguyen Kim Chuan) 2000年生まれ ベトナム出身
通学時間:約10分(バス)
私は元気のない子どもだったので、毎週お医者さんに行っていました。そこでは診断を受けるだけではなく、いろいろなおしゃべりをして友だちのように親しくなりました。自分も将来、そのような医師になりたいと思って医学部に入りました。本学を選んだ理由はその国際性です。ミャンマー、インドネシア、カンボジアなどから来た友だちができました。先生方もいろいろな国から来ていますので、医学を勉強しながら、さまざまな国の文化や特長を知ることができます。卒業したら、帰国してベトナムで働きたいと思っています。どんなことがあっても、医師として常に患者さんのために働くつもりです。また、多くの人の命を守るために、臨床研究にも力を注いでいきたいと思います。さらに、ボランティア活動として、いろいろな国で医療活動をしたいと思います。

バトトグトフ トゥメンヒシグ(Battogtokh Tumenkhishig) 2000年生まれ モンゴル出身
通学時間:約15分(バス)
3つの理由で医師になろうと決めました。まず、高校生のときから科学に興味を持っていたこと。次に、子どものころから、苦しんでいる人々を助けたいと思っていたこと。そして、医師だった父の「医師とは人を助ける最善の職業である」ということば。高校生のときから留学を考えていたので、本学の留学生募集の情報を見て迷わずに申し込みました。最先端の機器や模擬患者さんとの授業など、本学の学修環境が大好きです。また、いろいろな国の友だちができ、授業での疑問点を英語や日本語で話し合い、さまざまな視点から解決することがとても勉強になっています。私の目標は母国の医療の発展に貢献できる医師になることです。日本で修得した知識や技術を生かして、特に医療教育の制度や環境を向上させ、両国の架け橋となる存在になりたいと思っています。

モン モニラタナ(Mom Monyratana) 2000年生まれ カンボジア出身
通学時間:約15分(バス)
高校のときから科学と人文科学が好きでした。その点、医学は「科学的根拠で医療を提供する」と「患者さんと人間関係を築く」という完璧な組み合わせだと思い医学部に入学しました。今後生涯にわたって続く医学の勉強のスタートを切るにあたって、本学は最高の環境が揃っていると思います。「インターラクティブラーニング」や「ダイバーシティ」をベースにした国際的なプログラムはもとより、今後の医師には欠くことのできないスキルの修得をバックアップしています。1年次から、各分野の先生方から医療面接や身体診断、研究活動について直接指導を受けることができます。将来は、母国の医療や教育に貢献したいと思っています。臨床医として、本学との関係を維持しつつ、患者さんに効果的な治療法を見つけるための研究活動も進めていきたいと思います。