成田キャンパス
形成外科学教室

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教室紹介

ごあいさつ

国際医療福祉大学医学部 形成外科学教室
教授(代表) 松﨑 恭一

国際医療福祉大学医学部形成外科学教室教授(代表)の松﨑恭一でございます。
この場を借りて、私どもの教室ならびに私どもが扱っている形成外科学をご紹介したく存じます。

2017年4月、医学部1期生の入学と医学部開設記念式典、そして形成外科学教室の開設

2017年4月2日(日)、国際医療福祉大学医学部の入学式と開設記念式典が開催されました。快晴だったその日は、形成外科学教室の開設日でもあります。その数日後、入学式と式典での「ときめき」から覚めやらぬ私のもとへ本学医学教育統括センターから、入学して間もない1期生へ送る「メッセージとお薦め書籍」の原稿依頼が届きました。
『欧米では、形成外科はArt of Medicineと呼ばれています。受験勉強を終えた皆さんは、入学後にその創造性に満ちた学問の虜になるでしょう。形成外科学の醍醐味を講義と臨床実習でお伝えできる日を楽しみにしています』というメッセージとお薦めの和書、洋書を1冊ずつ紹介しました。
Murray先生の著書
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和書は『DNAのワトソン先生、大いに語る:ジェームス・D・ワトソン(著)、吉田三知世(訳)、 (原著:Avoid Boring People: Lessons from a Life in Science by James D. Watson)』、 洋書は『Surgery of the Soul: Reflections on a Curious Career by Joseph E. Murray』です。 ともにノーベル生理学・医学賞受賞者の自叙伝エッセイです。前者は世紀の大発見と言われる「DNAの二重らせん」を解明したWatson博士、後者は1954年に世界初の腎臓移植に成功した形成外科医Murray先生の回顧録です。
基礎医学と臨床医学のそれぞれの分野で偉業を成し遂げた2人の偉人のプライベート・ライフと仕事への熱意が綴られており、未来の医学を担う夢と希望に満ち溢れた医学部1年生にとって必読の書です。折角の機会なのでMurray先生の著書紹介を兼ねて、先生の足跡から形成外科学の一面を紹介します。

形成外科とは、Murray先生の足跡でたどる (1)

Murray先生は1919年に米国マサチューセッツ州で生まれました。1943年にハーバード医科大学を卒業し、大学に隣接するピーター・ベント・ブリガム病院(現在のブリガム・アンド・ウィメンズ病院)とボストン小児病院で1年間のインターンシップを終えました。その後1947年まで配属されたペンシルバニア州の陸軍病院で、先生の将来を決める衝撃的な治療を経験しました。それは、ビルマでの航空機事故で全身の70%の熱傷を受傷し、本土帰還の経由地で応急処置を受けながら、1万マイル以上の距離を6週間かけて搬送された22歳の陸軍パイロットとの出会いでした。ひどいやけどでした。やけどで障害された皮膚を切除しても、残された健常皮膚の移植だけでは、切除した部分を覆うことができない重症広範囲熱傷でした。そこで、ご遺体から提供された皮膚で切除した部分を覆う、同種(他人の)皮膚移植が行われました。同種皮膚の生着によって皮膚機能が改善し、感染と脱水で衰弱していた体がみるみる回復しました。同種皮膚は一時的に生着しますが、その後、拒絶されるため、自分の皮膚への置き換えが必要です。幸い体調が回復してから、小範囲の健常皮膚を繰り返し採取し、それを移植することによって、同種皮膚生着部を全て自分の皮膚に置き換えることができました。皮膚移植による劇的な全身状態の改善効果を目の当たりにしたMurray先生は、移植治療に強い関心をもちました。さらに焼けただれて失った、まぶた、鼻、口唇の形成手術、同じく腱まで焼けただれた手の機能再建手術など、1年半におよぶ入院の間に計24回の手術が行われたことで社会復帰することができました。その後、彼はビジネスで成功を収めました。さらにMurray先生の勧めもあってご自身の経験を医学生に語るボランティア活動にも携わったそうです。
形成外科の専攻を志したMurray先生は陸軍病院での研修後、外科の専門医を取得し、晴れて1951年に形成外科専門医の資格を取得しました。当時、頭頸部癌を切除した後の形成外科的再建治療が確立されていなかったため、外科医は癌切除後の傷の閉鎖に難渋しました。そのため必要十分に切除することを躊躇するあまり不十分な切除が原因で再発をきたす患者さんが多く、治療成績は芳しくありませんでした。しかしMurray先生が研修した陸軍病院の形成外科では頭頸部癌切除後に皮弁や筋皮弁による再建を積極的に行っていたため、先生は再建法の手技に精通していました。形成外科専門医の資格取得のために勤務したニューヨーク病院の形成外科では、皮肉なことに専門医取得前のMurray先生が専門医の上司に再建手術を供覧したそうです。

形成外科とは、Murray先生の足跡でたどる (2)
形成外科とは形成外科的手技を駆使して治療する診療科

形成外科専門医を取得してピーター・ベント・ブリガム病院に戻ったMurray先生に内科部長が「腎臓移植のチームを立ち上げるからメンバーに加わらないか」と声をかけました。誰一人、臓器移植を経験したことがなかった時代に、形成外科的手技が移植手術に不可欠だと判断した内科部長は、先見の明があったと言えます。陸軍病院での皮膚移植を機に移植治療に関心をもっていたMurray先生は、腎臓移植の研究に没頭しました。そして1954年に一卵性双生児の症例で世界初の腎臓移植に成功しました。先生は臨床だけでなく、免疫抑制などの基礎的研究にも取り組みました。その成果が1959年の同種腎臓移植、さらに1962年の死体腎臓移植の成功につながり、現在ではなくてはならない治療法になっています。移植治療への多大なる功績から1990年に外科医として3人目のノーベル生理学・医学賞受賞の栄誉が授けられました。
Peter Bent Brighamと刻まれた病院玄関
腎臓移植の臨床と研究に多忙な中、口唇裂や口蓋裂などの先天性疾患の治療にも全身全霊取り組みました。生まれつきの外観の障害がお子さんの精神的成長に影響を及ぼすことを心理の先生との共同研究で明らかにしました。1966年には当時治療困難とされていたクルーゾン病という先天性頭蓋顔面骨変形の患者さんの治療を中顔面の骨切りを行うことで成功しました。さらにそれまで誰も治すことが出来なかった様々な疾患を、マイクロサージャリ―と呼ばれる顕微鏡を使った新たな形成外科手技を応用したことで、多くの患者さんにとって福音となりました。
余談になりますが、私が留学時に師事したハーバード大学のGreen先生は、培養表皮を開発したことで再生医療のパイオニアと呼ばれています。世界初の培養表皮移植は1980年にMurray先生が在籍していたピーター・ベント・ブリガム病院の形成外科で行われ、重症熱傷の患者さんの救命に成功しました。

2017年4月に感じた「ときめき」の具体化に向けて、私たちの取り組み

開設間もない若き情熱に満ち溢れた本学医学部に身を置くと、私たち教職員も初心にかえり夢を語らずにはいられません。形成外科医の夢は、「先天性・後天性の体表変形を、そのような変形がなかったかのように修復する」ことです。そのためには「皮膚の完全な再生」に向けた研究が不可欠です。私は余談で述べたように培養表皮移植の研究に携わり、その後も皮膚の再生に取り組んできました。夢の実現のために表皮幹細胞を用いた研究を東京医科歯科大学・難治疾患研究所と共同で行っています。いつの日か、傷あとを消す治療法が誕生するかもしれません。
多くの方々が抱く「いつもまでも健康で若々しくありたい」という夢を実現するために資生堂、生理学研究所と共同で研究しています。加齢に伴い、皮膚は脆弱化して、シワやタルミを生じます。このような皮膚物性の低下に、真皮を皮下に係留するアンカー構造(主成分はコラーゲン線維)が関与していることが明らかになりました。アンカー構造の探究は、皮膚の抗加齢治療へ応用できると期待しています。

大学医学部が「患者さんにとってより良い医療を追求する」施設であることに疑う余地はありません。教室員は低侵襲で治療効果の高い治療法を求めて、洗練された手術手技の開発を絶え間なく続けています。本学医学部の卒前教育は、アクティブ・ラーニングを主体とする少人数教育の推進、国際基準を上回る90週のクリニカル・クラークシップとシミュレーション教育を重視した臨床実習の充実、英語による医学教育を含む独自カリキュラム、電子教材の活用などを特徴としています。形成外科学の卒前教育は他科と同様に教育統括センターと連携して行っています。卒後教育においては、安全で確実な医療を提供することを最優先課題としています。形成外科診療におけるガイドライン作成に携わったスタッフが、エビデンスに基づいた医療を指導しています。形成外科学を志す若い医師が、情熱と「ときめき」を絶やすことなく、各人の将来構想に向けて歩む日々をサポートすることは教室の責務と考えております。