成田キャンパス

循環器内科学教室

女性循環器医師の皆さんへ

心臓病の診療は、急変が多く、生死に関わることが多いためか、これまではどちらかというと男性の職場のようなイメージがありました。私は、そのイメージを破壊したいと思っています。私が米国で心血管インターベンションのフェローをしていたとき、同僚には子育て中の女性医師がいました。緊急カテーテルにも参加しながら、幼いお子さんの世話も両立させていたのは、定時になったら引き継いで帰ることができる米国ならではの事情であったのかもしれません。働き方改革が政府の方針に挙げられていますが、医師は後回しになってしまっています。しかし、これからの日本も変わらなくてはいけないのです。私たちの医学部の学生の約半数が女性です。将来を担う彼女達が働きやすい職場を作らなくてはいけません。女性医師が働きやすい環境は男性医師にとっても働きやすいはずです。勿論、若いうちは多少の無理は承知でも、欲張って、居残って、研修に励むことは必要でしょう。そうした修行時代を経験しなければ将来困ることになります。しかし、医師のワークライフバランスは時期により、各々の医師のライフステージによっても異なります。私たちは、子育て中の医師であっても、時短勤務など多様な働き方を可能にし、各人のニーズに応じた研修を可能にします。

ここで、元メイヨークリニック循環器内科准教授で、昨年より私たち循環器内科の一員となって活躍中の市来智子講師のメッセージをご紹介します。

市来智子講師からのメッセージ

心臓という臓器は多岐にわたる様々な役割があり、臓器間ネットワークの要と言っても良いでしょう。心臓を診るということは全身管理につながります。よって、内科医としての素養を養うのに、心臓を基盤に内科学を学ぶということは、理にかなっているのです。

循環器内科に興味を持って下さり、ありがとうございます。
女性の皆さんは、先ごろの報道により医者になっても女性として働くのは何かと障害があるのではないかと不安になっておられるかもしれません。確かに現状では日本の循環器関連の学会での女性医師の参加率は1-2割程度、欧米の主要学会でも3-4割といったところでしょうか。女性が医師になるのであれば結婚・出産は諦めろという時代もありましたが、今はもうそのような時代ではありません。女性もそして男性も、仕事も大切ですが自分の人生・家庭を大事にし、より豊かな時間を過ごすことが、結局は多種多様な患者さんたちの人生を理解し、支えることに繋がっていくのではないでしょうか。

私自身も女性ということで自由な選択ができなかった経験があります。ただ、その時々の状況で周りの方々の支えを頂きながら自分ができる限り頑張ってきたことが今に繋がっていると思いますので、少しご紹介したいと思います。

●循環器内科を選択 とにかくがむしゃらに突っ走った研修医時代

卒後の経歴、取得した資格など

大学で体育会系の生活を送っていた影響か、ポリクリの頃は消化器外科に入局を考えていました。しかし他大学への入局が必要になり、下調べをしてみると、女性はメジャー外科への入局が厳しいということで外科系への進路は断念しました。内科で一番バリバリできる科はと考えた末に循環器内科を選びました。入局後の指導医が心カテの先生だったので心カテ室に入り浸り、1年目から毎週のカテバイトをゲット(主に圧迫止血係でしたが)。2年目は脳外科の血管系の先生について、カテとクモ膜下出血のクリッピングやら急患対応やら2晩病院に泊まって(もちろん無給)1晩自宅に帰るという生活を続け、指導医の先生もですが、救急センターの看護師さん達に特別に寝床を確保して頂き励ましてもらいました。その後2-3年目で循環器臨床・救急を学び、4年目にはカテバイトで出入りしていた、念願の循環器三次救急病院に配属となり、心カテとCCU管理など勉強させていただきました。夢は女性初のPCI(冠動脈形成術)オペレーター!!と冗談を言いながら、このまま心カテを続けていくのだと思っていました。

●学位取得のために研究の道へ

ある日教授に呼び出され、学位取得のための大学院入学を勧められました。PCIオペレーターを目指すには大学院の心カテ班に入る必要があったのですが、班に入っても女性にはPCIは一切させないがそれでもいいのかと言われ、止む無く断念しました。これまで積み上げてきたものは何だったのか...と途方に暮れていたときに、メイヨークリニックで神経内分泌因子の研究をされていた先生が研究室を立ち上げて大学院生を募集していると聞き、いっそのこと全く違うことをしてみようと、その先生の門下に入れて頂きました。心カテばかりしていた私ですが、基礎研究のイロハのイを懇切丁寧にご指導いただき、患者さんの血液を用いた臨床研究や細胞培養の研究を行い、学位取得となりました。研究をしている私が楽しそうだったのか(?)教授から2-3年アメリカのメイヨークリニックに留学したらどうかと勧められ、学位を指導してくださった先生の推薦で留学が決まりました。

●9年のアメリカ留学

メイヨークリニックはアメリカ中西部、シカゴから車で6時間、ミネソタ州のミネアポリス・セントポールから車で1.5時間の場所にあり、全米でNo.1の私立病院の常連になっています。ミネソタ州は「アメリカの冷蔵庫」(ちなみに冷凍庫はアラスカ)と言われ、NHKの大草原の小さな家の舞台となったウィスコンシン州とはミシシッピ川上流を挟んで隣同士の小さな田舎町です。私が留学した循環器内科心・腎研究室は、心不全・利尿ペプチドの研究で有名なバーネット教授が主宰され、心臓から分泌された利尿ペプチドと腎臓機能との連関をターゲットとした基礎・臨床・そして新薬開発を行っているラボでした。資金も潤沢で、最初から給料・保険もラボから出してもらい、研究費も困ったことはありません(留学するならそういうラボが一番です)。また、ボス自身がアメリカ人でテクニシャンもアメリカ人がそろっていたので、英語を学ぶには絶好のラボでした。

最初は細胞培養から始めましたが、半年はまともなデータが出ず、1年近くたったころからやっと軌道に乗りました。自分で研究費を取るようにも指導され、2年目後半にアメリカ心臓協会(AHA)のポスドク研究費を取れてから、人生が変わっていった気がします。その後7年間、途切れずにAHAから研究費をもらったのですが、そのために日本に帰国するタイミングを失い、元いた大学に帰りにくくなったのが実情です。ラボでは細胞培養・動物実験などの基礎研究、心不全患者さんの検体やデータを集める臨床研究、新薬の開発と第Ⅰ相の臨床試験など携わり、一通りの実験経験とフェローへの指導、もちろん英語もそれなりにこなせるようにはなりました。ただ、私はアメリカの医師免許を取らずに渡米したので医療行為をすることができず、臨床から離れている不安がずっとありました。そして就労ビザの期限が近づき永住権を取る申請に入る時期になったときに、研究しかできないアメリカに滞在し続けるよりも、臨床もできる日本への帰国を決心しました。

●そして国際医療福祉大学にて~万事塞翁が馬~

研究も循環器臨床もできる場所を探しましたが、既存の国公立・私立の大学医局にはなかなか就職口は見つかりませんでした。留学時代に一緒だった先生方に相談したところ、当科に就任が決まった河村教授にご紹介いただき、こうして今国際医療福祉大学で仕事をしています。留学前に臨床経験を積んでいなかったら、アメリカでの研究業績がなかったら、こうして関東で仕事に巡り合うことはなかったかもしれません。そして、今まで関わってきた上司・先輩・同僚・看護師さんやパラメディの皆さん、いろいろな方々の指導やご支援、協力や励ましで、ここまで無事やってこれたのだと思います。

●医療に貢献するとは?

私は9年の臨床ブランクがあり、出産・育児で前線を離れる女性医師の方々と同じような状況でした。無事臨床業務に戻ることができているのは、私の現状を理解し指導してくださる先生方のサポートがあること、留学前に基本的な内科・循環器臨床をマスターできるような指導をしてもらえていたからです。

循環器内科に性別で差がでるような業務はありません。ただ、ライフステージの選択によっては、一定期間、常勤での勤務は難しくなる時期はありますよね。ただ、医師の仕事や勉強は常勤医しかできないわけではありません。外来や研究は自分の予定に合わせて組むことができますし、認定医や専門医の勉強、最新の医学論文や書籍を読んだり、研究結果の解析をしたり、論文を書くのは自宅でもどこでもできることです。ライフステージにおける様々なニーズに対応するためには、まずは若いうちに可能な限り基本的な臨床能力を身に着けること、外来・研究など常勤で仕事できない時期でも医師として研鑽を組めるような場所を用意していくことが重要だと考えております。